「栃木県伝統工芸品」とは


指定要件

一、主として、日常生活の用に供されるものであること。

二、製造工程の主要部分が手工業的であること。

三、伝統的な技術又は技法により製造されていること。

四、伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるものであること。

  具体的な指定の手続きは、原則として生産者からの申請に基づき、県で調査のうえ「栃木県伝統工芸品振興協議会」で協議し、

  その協議結果に基づいて知事が指定します。

 

 

 

 

 

栃木県伝統工芸品マーク


佐野衣装着雛

日光東照宮造営に携わり、後に佐野に住み着いた職人が佐野の人形職人の起源と伝えられております。その技術や伝統は今に受け継がれています。女児の健やかな成長を願う雛人形。人形師はその想いを旨に精魂込めて一体一体作っております。

佐野節句かけ軸

室内装飾品であると同時に子どもの健やかな成長を祈り飾られた佐野節句かけ軸。男児は加藤清正、一ノ谷、鯉金、女児では藤娘や八重垣などがよく知られています。他にも正月(人日)、三月(上巳)、五月(端午)のそれぞれの節句に因んだ絵柄、図柄を有しています。職人は刷毛、筆等々を駆使した伝統技術によりそれらを描きます。

佐野武者絵のぼり

武者絵のぼりは、室町時代末に武家社会で端午の節句にのぼり旗を飾る風習があったものを、江戸時代になると庶民も真似るようになり、広まったと言われております。江戸時代からの伝統・技術を受け継ぎ、端午の節句に子供たちの健康と成長を願って飾られています。


天明鋳物

安時代に平将門を滅ぼした藤原秀郷が河内(大阪)より5人の鋳物師をこの地に移住させ、鋳物の製造にあたらせたのが始まりと言われており、1千年余の歴史を有しています。室町時代茶の湯の流行と相まって天明の茶釜は、九州の芦屋釜とともに「西の芦屋、東の天明」として天下にその名を知られました。江戸時代には鍋や釜も製造されるようになりますが、現在では花瓶、茶器など高級な美術工芸品にその優れた技術が受け継がれ、高い評価を得ています。

佐野の生人形

生人形は、江戸時代後期から明治時代にかけて製作された人形。極めて精緻に実際に生きている人間のように見える表情や体の動きが再現されている。
作り方はだるまの型抜きと同じであり、土台の上に和紙を貼って形を整え、肌の質感も丁寧に再現する。表面のでこぼこを直すため、桐の粉、白色の顔料である胡粉(ごふん)を使用する。